タイに住んでみると

現在はタイを離れているので,タイに居た経験から考えたことなどを時々書いています。また,タイに行く機会があれば生の情報もアップしたいと思います。

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タイ近況

用事はともあれ,久しぶりのタイだったので,すこし近況を。

空港は,混雑していた。行きも帰りもにぎわっていた。
空港から市内へ向かう鉄道のエアポートリンクは,まだまだ利用者が少ない様子だが,夕方の列車は座席はほぼ埋まるくらいには込むようになっていた。
向かい席には,日本人と色白のタイ人?のカップル,隣に編み物をする細身の男性,タイ人のカップルで男はサングラスをかけ,彼女は露出度多めの服装,西洋人と肌色の黒目のタイ人のカップル,その隣にはゲイとおぼしき男性のカップル?。。。と並ぶ。実にタイらしい光景があった。

エアポートリンクがまだ,一つ込んでいない理由のひとつはターミナル駅であるマッカサン駅がほとんど機能していない為だろう。マッカサン駅にはほとんどタクシーも止まっておらず,荷物が少なくバンコク事情をよく知る人がBTSもしくは地下鉄に乗り換えるのでなければ,あまりメリットはないだろう。

レンタカーを借りたが,事前のネット予約はもう間に合わなかったので,現地で手配をしたが,ハイシーズンでレンタカーの確保も手間取った。レンタカーを借りようとした当日,電話のつながった一軒目は,すでに車がなかった。タイらしいことだったのは,「今日から2日後の土曜日まで必要だ」と言ったのに,今日は無いが,電話の向こうのスタッフが「月曜ならある,月曜からではどうだ」と聞いて来たところ。
電話が話し中で,ちっともつながらなかった別の会社の本店へ乗り込んだら,少し値段が高くなるが,車のサイズを少し大きい物でようやく確保する事ができた。

相変わらず,赤と黄色の服を着た連中のデモ騒ぎのニュースが繰り返され,カンボジアとの小競り合いも起こっているが,観光客でにぎわってるようすのバンコクだった。
帰りの福岡行きの便もほぼ満員だった。ちなみに同日の関空行きはすでに満員でチケットはとれなかった.




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本葬

翌日は本葬だった。

午後1時に自宅から葬儀の行われる寺院へと移された。
彼女の場合,国立大学の教員で,王室から荼毘にふす為の火をいただくことができるのだそうだ。その火が届けられる時間から,葬儀の進行を考慮して葬儀の開始時間が時間が決められたとという。

葬儀は,お寺の中の火葬場に造られた祭壇を前に,ゆっくりと始まった。お通夜と同じように,楽団の演奏と読経が続き,最も近い人たちが棺桶の四隅に布を供えることから始まり,正面に一つお供えする形へと移った。
荼毘のための火を迎えた後,最後にゆったりとした歌が流れた。このときにはあらためて,涙をこらえきれない人が多くなった。後で聞いたら,夫が妻に送る言葉を綴った詩が,旋律に載せて歌われたのだそうだ。言葉がわからなても,美しい響きだった。

そして参列者全員が木の皮か葉で造られた白い花とコインを供えて,最後のお祈りをしてから,家族・親類に挨拶をして,しだいに人は帰っていった。

葬儀の間も,映像を見ているようで,またその中にいるようでもあった。
寺にいる犬が,僧侶の間近に座り込んだり,じゃれ回ったり。寺男が花輪を眺めながらうろうろしていたり。
どこか,日常のままの時間が入り込んで来て,悲しくつらい人の死も,生きている日常と途切れているようでいて,じつは一続きのような。そんな感覚をおぼえた。

彼女の残したいろいろなことは,続いていく。いたずらっこだった息子も,もう,すこし男らしい表情を見せてくれた。優しい夫はその息子をしっかりと育てる事を誓い。彼女の両親,兄弟も彼女の息子を守っていくだろう。
研究で経験した事も,すでに後輩に一生懸命伝えてくれていた事を知った。研究成果はすでに次の研究の為に生かされている。

本当にありがとうございました。
安らかに

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お通夜

出席できたお通夜は本葬前夜,最後の夜のお通夜だった。

タイでは日本でいうお通夜が一週間前後行われる。どのような事で亡くなったとか,家族や地域によってもその長さは異なるが,何日か,違う人が主催となってお通夜が行われるそうだ。
6日目,最後のお通夜だからなのか,参列者はなんだかリラックスしていて,振る舞われる食事を食べたり,談笑しながらお経を上げる僧侶の到着を待っていた。お経が上げられた後は,参列者から数名の代表が僧侶に感謝に品物を捧げる。その感謝が亡くなった人を慰め,天国へと導くという事になるのだろう。
僧侶に感謝をする役目をさせていただいた。ともかく横の人に習ってなんとか勤めた。
お通夜の間ほとんど絶えず,タイの伝統楽器による楽曲や歌が奏でられていた。村や学校の楽団,場合に寄ってはブロの楽団が勤めるそうだ。

タイの人らしいのは,祭壇の前で記念写真を撮る人がいる事。でも,日本の映画,お葬式でもそんな場面があっただろうか。
読経が終わり,僧侶が帰るころ,参列者にはおかゆ(具が入っているので雑炊に近い)とデザートが振る舞われ,それを食べ終わると,徐々に帰路へつく。椅子やテーブルが片付けられると,チンチロリンが始まった。干支のサイコロでの博打。徹夜で棺桶の晩をする係の親類や近所の連中がしており,警察もこんなときの博打にはお目こぼしという。

お母さんは,お通夜に多くの人,遠くからの人が集まってくれた娘を大変誇りに感じている,と一緒に行ったタイ人が教えてくれた。
人の命・人生が家族親類,村,人のつながりの中にある,という事がよく見えた。
昔の日本もこうだったに違いない。今でも場所に寄ってはあるのかもしれないが。





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タイ訪問

新年も既に1月はすぎ,急用でタイに出かけてきた。

不本意な,残念な用件であり,知人の葬儀に参列するためだった。
タイで仕事をしていたときの指導学生であり,タイの大学で教える仕事仲間でもあった。

相談にくるとき,よくまだ小さな息子が一緒にやって来て,ちょろちょろしていた。
息子は,大事なお母さんに近づく不審な男をちょっと警戒して,見張りに来ていたらしい。
部屋にある物をいじって落ち着かない子供をあしらいながら,研究の相談をしていた。

彼女は私の専門としていた事ではない事で研究をしていたので,こちらが勉強になる事が多かった。
いわゆる富裕層,エリートの育ちではなく,汗水を惜しげ無くたらしながら実験を進める人は,実質的な社会階級のはっきりした東南アジアではなかなか出会えない。
そういう人が指導してほしいと来てくれて本当に幸運な事だった。

無事に学位を取得して,職場に戻ったのはまだ一昨年,そのあと去年の秋になり病気が見つかったが遅すぎた。

病気を知ったのはつい先週,あっと今に会う事もかなわなくなった。
葬儀に出ても,本人のためにはなるだろうか,とも迷ったが,日程の都合は付けられたし,少し変則的に福岡発とすれば航空券も見つかり,ともかく出かけた。

葬儀は,残された人たちのためのこと,出席する自分にとっても同じ事とはいえ参列してよかった。

少し,不謹慎な事を承知で言えば,お葬式でまたタイの事を少し教えてもらい,タイの人の暮らしや気持ちが少し見えた気がする。映画の場面を見ているような,その中に自分がいるような不思議な感覚の中で,自分や日本の暮らしについても考えたりして,最後にまた大きな事を教えてもらったように思う。


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